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【都民の城?】「こどもの城」「青山円形劇場」が復活!? お願いしたいこと【生涯学習?】

東京都渋谷区青山にあった国立総合児童センター「こどもの城」が、敷地を含め東京都に買い取られる形で復活する見通しとなりました。

2019年2月13日の TOKYO MX NEWS で、2015年に閉館した「こどもの城」について、東京都は国から土地と建物を買い取り、2029年から開発を進める方針を固めましたと報じられました。

渋谷「こどもの城」29年から再開発へ 4万平方メートル超 記事更新!https://t.co/wGryMcjOHX 動画更新!https://t.co/Gfi8w0iIAI

— TOKYO MX NEWS (@TOKYOMXNEWS) 2019年2月13日

また、3月13日のニュースでは、都は「こどもの城」について、施設内に設けられている「青山円形劇場」「青山劇場」についても再整備していく方針を示したことについて報じています。

「こどもの城」 青山円形劇場を東京都が保存・再整備へ 記事更新!https://t.co/joQtSiZMfk 動画更新!https://t.co/6bavA72DL4

— TOKYO MX NEWS (@TOKYOMXNEWS) 2019年3月13日

東京青山にあった国立総合児童センター「こどもの城」は、うちの子供が幼いころ、家族でよく遊びに行った施設でした。

惜しくも 2015年2月1日 に閉館してしまいました。発表された閉館理由を聞いても腑に落ちず、どうしても納得できない思いをしたものです。

悔しい気持ちがある一方で、諦めるしかないのかなと、あえて考えないようにしていた覚えがあります。

その後の有志の方々による復活運動も知ってはいましたが、私から何か働きかけることはなく、たんなる傍観者になっていました。

参考 こどもの城、青山劇場、青山円形劇場の存続を願う有志の会 公式ホームページ – ネット署名、直筆署名展開中こどもの城、青山劇場、青山円形劇場の存続を願う有志の会 公式ホームページ

子どもをもつ親としては、「こどもの城」が復活するとすれば、それはうれしいニュースです。

一方では問題意識を持ちながら何もできなかったこと、何もしなかった事に対し申し訳ない気持ちも多々あります。

これまで傍観していたことのお詫びと、応援の意味も込め「こどもの城」のこと、そして復活に際して望むことをまとめます。

子どもの城がどれほど素晴らしい施設であったのか、振り返ってみたいと思います。

「こどもの城」とは

「こどもの城」が開館したのは 1985年11月です。今から34年前ですね。

1979年(昭和54年) に厚生省が 国際児童年を記念して構想し、子どもたちの福祉と文化活動の拠点として建築されて施設です。

開設当初の理念・構想について、昭和60・61年度の事業年報の冒頭から確認してみます。

たいせつなことが書かれていますので、少し長めに引用します。

1事業と運営

「こどもの城」は、厚生省が1979年(昭和54年)の国際児童年を記念して計画、建設したものである。国が東京都から譲り受けた、渋谷区神宮前5−31−1の約1万平方メートルの敷地に、昭和56年11月、着工された。以来、4年の歳月と323億円の国費をかけ、地上13階、地下4階の、ミラーガラスに包まれた美しい建物が完成、60年11月1日に開館した。

「こどもの城」は、新生児から高校生までの全児童を対象にした、幅広い福祉と文化活動を行うとともに、当然、ハンディキャップを持つ児童も一緒に活動する施設である。

引用 : こどもの城 – 昭和60・61年度事業年報

そして「基本構想」に肝心なことが記載されています。

(1)基本構想
〜委嘱を受けた有識者メンバーによって基本構想の検討が重ねられた。〜この結果を「基本構想に関する意見」として取りまとめ、児童家庭局長に提出した。
意見書は「近年、わが国の社会の都市化、工業化に伴い、児童の健康や安全が損なわれており、また、核家族化、家庭規模の縮小に伴う児童の人間関係の変化によって、さまざまな問題が生じている。一方で、高齢化が急速に進んでおり、この中で、豊かな活力ある社会を維持してくために、未来を担う児童の健全育成の必要性が高まってきている。このときにあたり、わが国の児童をとりまく諸問題に適切に対処し、明るい21世紀を展望する総合施設を建設することは、時宜に適したものである」

引用 : こどもの城 – 昭和60・61年度事業年報

「わが国の児童をとりまく諸問題に適切に対処し」とありますね。

当時も、現代と同様に児童をとりまく問題について社会的に認識があり、「こどもの城」はその対策として設立された施設であったことがわかります。

現在、当時の問題が改善されたのでしょうか。いえ、むしろ問題は深刻化していると思います。

「核家族化、家庭規模の縮小に伴う児童の人間関係の変化」

シングルマザーの増加、母親によるいわゆるワンオペ育児の負担など、さらに加速的に変化していると感じます。

「こどもの城」が発展し、同様の施設の数が増えて行くならわかりますが、閉館する理由がわかりません。

「こどもの城」 開館の経緯

2012年9月所管する厚生労働省により、2015年度末までに「子どもの城」を閉館とする方針が発表されました。

閉館方針の理由は以下と報じられました。

  1. 開館当時と比べ子どもの遊び方が多様化し、子どもを取り巻く環境が大きく変化していること
  2. 地方自治体における児童館・地域子育て支援拠点の整備が進んできたこと
  3. 建物の老朽化が進行していること

どれも閉館にする理由に乏しい様な気がします。

“1” は先にも述べましたが、大きく悪い方に変化し、むしろ深刻化していると言えるでしょう。

“2” については、少なくとも私はそういった認識はありません。

特に “3” について、国家が建築した建物を築30年ほどで老朽化と言われても説得力にかけます。

またSNS でも以下の様な意見を拝見しました。

「老朽化なんて絶対絶対ウソだ。そんなの本当の理由じゃない。」

「レストランも新装開店したばかりだし外壁の補修だって始まったばかりだ。」

「一等地なだけに潰してもっと儲かる何かを作りたいだけなんじゃないのとしか見えない。」

言い得て妙だと思います。

さらに同年の8月に「子ども・子育て支援法」が設立されたばかりであるという状況を鑑みましても違和感を覚えざるを得ません。

ともあれ「こどもの城」は予定通り2015年2月1日に閉館し、同年3月31に全ての事業がつづが無く終了しました。

「こどもの城」復活のニュース

2019年2月に、東京都より土地と建物を含めた再開発を2029年から推進するとの発表がありました。

「日本経済新聞 電子版」からの引用となります。

東京都は21日、2019年度に取得する旧国立児童館「こどもの城」(渋谷区神宮前)を活用するための基本的な考え方を明らかにした。創業支援や福祉人材の育成の場として中期的に利用したのち、29年以降に周辺の都有地を含めた約4万5千平方メートルを一体開発する。

引用 : 日本経済新聞 電子版 – 旧こどもの城周辺、29年以降に一体開発、都が計画

記事では、まず2020年の東京五輪・パラリンピックで物資保管所やボランティアの研修会場などに使い、大会後は「都民の城(仮称)」として都民向けの創業・生活支援の場としての改修を計画とあります。

また、2029年より隣接する旧青山病院、コスモス青山」、国連大学の3つの都有地と合わせて開発を始めるととのこと。( 気の長い話しですね )

そして、先に書きました通りこの3月には「青山劇場」「青山円形劇場」の再整備も発表されました。

しかし気になることも大いにあり、小池東京都知事の「都民の学習、スポーツ、創業、人材育成などの場となる『都民の城』とも呼べるような複合拠点を創出していきたい」と言う発言。

そして、その目指す理念的な言葉は「都民の城」「生涯学習」だそうです。

「子ども」と言う言葉がどこにもありません。

参考 旧こどもの城周辺、29年以降に一体開発、都が計画  :日本経済新聞日本経済新聞 電子版

楽しかった、思い出の「こどもの城」

さて、大いに不安が残るところですが、閉館したかつての「こどもの城」がどんな施設であったのか。

こどもの城を初めて訪れたのはうちの子が0歳のころでした。月齢にして10ヶ月ぐらいだったと思います。

同じぐらいの赤ちゃんを連れている夫婦・家族が大勢いたことを思い出します。たくさんのベビーカーが玄関口に並んでいましたね。

「こどもの城」での印象的な楽しい遊具や、他の施設ではみられない特徴を、我が家のアルバムから写真を添えて振り返ってみたいと思います。

プレイホール・わくわくらんど

3階のプレイホールに「わくわくらんど」木製アスレチックが設置されてあり、いつも大勢の子どもたちが遊んでいました。

「こどもの城」で外せないのが「わくわくらんど」でしょう。

「わくわくらんど」ではいつも大勢の子どもたちが遊んでいました。

アスレチック「わくわくらんど」には子どもがわくわくする仕掛けがいっぱいです。

難点はアスレチックの上で遊ぶ子どもはすばしこく、大人がついていけないこと。すぐに見失ってしまいます。

数名の職員の方がいつも注意して見守っていましたので不安はありませんでした。

0歳から遊べる施設

館内には当然授乳室、おむつ替えコーナーが完備されており赤ん坊を連れて遊びに行くのに不便はありませんでした。

保育室が常設されていた他、4階のスタジオが幼児向けに解放されていることもありました。小さかったうちの子も様々なおもちゃで遊んでいたことを覚えています。

こちらは3階プレイホールの「幼児コーナー」。

ここでは疲れ果てて居眠りをしていらっしゃるお父さんをよく見かけたものです。

音楽ロビーでのバンド演奏

4階の音楽ロビーでは、一日に何度も生バンドの演奏を聞くことができました。

この写真ではお部屋にハロウィンの飾り付けがしてありますね。

このハロウィンの飾り付けをみるとわかるのですが、手作りの温かみが満載です。

この準備のためにどれだけの時間を割いたのでしょうか?職員のみなさまにはいつも頭が下がる思いでした。

子どもたちは一所懸命太鼓を叩いてバンドを応援します。

赤ちゃんは、抱きかかえられながら応援します。

近い距離からバンドメンバーからこどもたちに声がかけられ、こどもたちが答えます。

こんな催しが日に何度も開催されていました。

造形スタジオ

3階の造形スタジオでは、折り紙や厚紙などを用いた簡単な工作をつくる催しが毎週ありました。

ひな祭りや子供の日など、季節ごとのテーマで簡単な図工を指導してくれるのです。

必ず指導員の方がついていて、作り方を懇切丁寧に教えてくれていました。

ビデオライブラリー

4階にあるビデオライブラリーには、2万点以上の映像作品が所蔵されいました。

入館者は誰でも自由に所蔵作品を鑑賞することができるのです。

そして、未来的な2から3人がけのブース( 個室 )が35あり、狭いながらも雰囲気いっぱいのスペースで好きなコンテンツを見ることができました。

うちの子が始めてウルトラマンに触れたのも、このこどもの城のビデオライブラリーコーナーだったはずです。

岡本太郎作「こどもの樹」

忘れられないのは、こどもの城玄関正面に鎮座する岡本太郎作の彫像「こどもの樹」。

「こどもの樹」は今でも変わらずに、同じところにあるはず。

木の枝の子どもたちの、岡本太郎の作品らしくデフォルメされた表情がが素晴らしい!。

どんな子どもも自由であり、制限を受けることはない!

そんなことを象徴しているようです。

こどもの夢がかなうところ

「こどもの夢がかなう」なんて大げさなようですが「白い壁に絵の具で自由に落書きをしてみたい」そんなことが本当にできました。

本物みたいな台所で、たくさんの食器を使っておままごとをして遊ぶ、なんて事も。

うちの子は男の子ですが、夢中で遊んでいたことを思い出します。

そんな夢を叶えてくれるコーナー・イベントがいくつもあったんです。

職員が多かったこと

「子どもの城」の最大の特徴は、多くの職員の方々が現場・フロアーに出て子どもたちを見守っていたことです。

有料のこどもが遊べる屋内型施設は今ではいくつもあります。

しかし「こどもの城」では職員の方々の数が圧倒的に多く、大型遊具の周りで子供を見守り、危ないことをしていないかなど注意深く見守っていたのです。

そして、各遊びのコーナー毎に係の職員の方が持ち場についており、遊び方を指導し、また子供同士のトラブルにならないように気をつている様子がよくわか理ました。

各職員の子供との触れ合い方も、頭が下がる思いでした。

何より積極的に子どもたちと接し、話しかけ、一緒に笑っていた態度が印象的でした。

最後の日

2015年2月1日 の閉館日当日も、もちろんお伺いしました。うちの子は4歳になっていました。

当日は、朝から出かけて、閉館時間まで目一杯遊びまたした。

うちの子本人がどこまで理解しているかわかりませんでしたが、名残おしむように最後まで遊んていたことを覚えています。

最後は、職員の方々が表に出て、館から出てくる家族、そして子供たちとハイタッチをして幕を閉じたのです。

振り返ると「こどもの樹」はやはりそこにありました。

「こどもの樹」だけは今も同じところに鎮座しています。

「こどもの城」復活に際してのぞむこと

話は戻りまして、2019年2月に「こどもの城」の建物と敷地の買取、そして再開発について発表がありました。

うちの子は現在8歳になっています。4年間「こどもの城」に通い、そして閉館してからすでに4年がたちました。

「都民の城」「生涯学習」ですか、素晴らしい理念ですね。

まさしく「都民の城」として復活するころ、私も老人になっているでしょう。

もしかしたら、私も「都民の城」で「生涯学習」を受けるような形でお世話になるかもしれません。

楽しみですねー!

…でも、私を含めて老人なんてどうでも良いじゃないですか?

辛辣なようですが、もう先のない老人の生きがいなんて意味があるのでしょうか?

そのころ老人となった私が、子どものための施設であった場所を陣取り、詩吟や俳句を嗜んで喜ぶと思っているのでしょうか?

私たちの希望は「子ども」たちの存在ではなかったですか。

子どもたちの姿をみること、大勢の子どもたちが笑っている様子を見ることこそが、大人たちの悲願であったはず。

ですので、どうか子どものためだけの「こどもの城」として復活して欲しい。

もとの、子供の為だけを思い、子どもの幸せを願い考えられた施設として戻って来て欲しい。

そう願って止みません。

「こどもの城」まとめ

都の計画によると、再開発が始まるのはは2029年です。と言うことは、あと10年後ですね。

開発が完了し何らかの施設が開場するころ、それは何年後になるのでしょうか?

さらに5年後と考えた場合、今から15年も先の話しです。

うちの子はそのころ23歳にになります。

もし「こどもの城」が元の形に復活するとしても、もうそこで遊ぶことはないでしょう。

また「こどもの城」で培ったノウハウを文書で保存できたとして、実際に経験のある人材を集めることはできないでしょう。

失ったものを取り戻すのは並大抵のことではありません。

最後に本当の希望を簡単に言いますと、今ある建物のそのままで良いので、いますぐ「こどもの城」を元に戻して欲しい。

それが本当の願いです。

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