ナメロウです!
今回も最近考えている “しあわせ” についての投稿です。
先日ご紹介したこの本… 少しずつ読み返しているのですが…
読みながらいろんなことを思います。ちょっと思うこと、気づくことを書いてみます。
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振り返ればいつもしあわせ
“さとう みつろう氏” の本「悪魔とのおしゃべり」ですが、こんな一節があります。
– 悪魔 –
それは、簡単だ。人間は、忘れる生き物なのだから。
貴様らは、「わたし」以外の「わたし」の記憶を全て消して、このゲームを楽しんでいる。
「違うわたし」どころか、時には「去年のわたし」ですら消すことで辛い思い出を忘れ器用に生きている。
引用 : 悪魔とのおしゃべり
第13章 不可能とは「正しさ」を乗り越えられないものの言い訳 ( P.510 )
辛い思い出を忘れて器用に生きている?
辛い思い出をを忘れて人は器用に生きていると書いておりますが、これを踏まえて我が身の過去を振り返りますれば…
そうなんですよね… 確かに辛い時期が散々あったんですよね。でも…
確かに、振り返ればいつも楽しかった。辛かったことは覚えているが、辛かったけどなんだかんだ面白かった覚えがほとんどです。
仕事もせずにフラフラしていた20代も、仕事が忙しくて激務が続いた時期も、そしてパワハラ紛いの扱いを受けた時も…
プライベイトでやらかしたこともあり一時はどうなるかと…んーそれはどうかな?
でも、正直全部ひっくるめて今まで全部楽しかった!と、思う…
その時は辛くてたまらなかったはず… でも振り返れえってみれば確かに「大変だったけど楽しかった」感想しかない!?
これは「悪魔とのおしゃべり」に書いてあるとおり、辛い思い出をを忘れたからなんでしょうか?
多分本当にしあわせだったんだと思う
ナメロウが思うに、そのとき実はしあわせだったんだと思うんですよ…
いつだって屋根のある部屋に住んで、飯も食えましたし、服も買えないことはなかった ( 普通か!? )
ましてや、現在ナメロウはITエンジニアなんですが、先も述べた通り20代の頃は無職でした。
当時もエンジニアになりたい ( 復職したい ) と思っていましたが30歳を超えても職がみつからず… ( 地方都市にいたせいもあり ) 、それがたまたまチャンスをいただいて今の仕事をしています… 奇特ものです。助かります。
それにまあ 無職の頃も彼女がいて… 就職して結婚して… 子供もできました。( いたって普通ですが )
大きな怪我や病気もなく生きてこれて、普通に旅行に行き、普通に映画を見、普通に遊園地に行き公園に行き、普通にディズニーランドに行き…
つまり普通にしあわせ。
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そう考えると、実は今も…
それぞれの時期にキツい事があり悩みがあり、そして今でもそう… いろいろな悩みを抱えながら生活しています。
「振り返るといつもしあわせ」そう考えると… よくよく考えると…
過去を振り返り楽しかったと思えるのならば、今現在そう思えても良いはずだと思うのですよ。
そう認識するべき。
おそらく、今の苦しみや悩みも些細なことなんでしょう。
正直明日も仕事でめんどくさいことが待っていますが。きっと実に些細なことなんですよね。
多少のきつさや、苦しみがあったとしても、それを含めてしあわせで楽しいことのはず… でも悲しいかなリアルタイムでしあわせを感じることができる人はあまりいないでしょう。
しかし「実は今も過去と同じようにしあわせである」ことを認識するのとしないのとでは大きく違うと思うのです。
「悪魔とのおしゃべり 」をちょっと否定するようですが
そう言う意味で、冒頭に書いたこれ…
「違うわたし」どころか、時には「去年のわたし」ですら消すことで辛い思い出を忘れ器用に生きている。
「悪魔とのおしゃべり」からの引用ですが、実はちょっと違うかなとも思います。( みつろうさんすみません )
「辛い思い出を忘れ ( 楽しかった思い出に変換し ) 器用に生きている」
のではなく…
「当時辛いと感じたとしても、本当は楽しかった事実が、後からわかる」
と言うが本当なんだと思います。
( ただし、「悪魔とのおしゃべり」には「この目の前の世界が、すでに最善である」とも書いていますね )
後からわかるより、今しあわせであると認識して過ごした方が特ですよね。
それでも楽しくない思い出
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とは言うものの、どうしても楽しかったと思えない過去も多々あります。
今回の趣旨から離れてしまいますが書きたいので書く…
これも「悪魔とのおしゃべり」からの言葉を借りれば、正義を押し付けられたときの思い出はしあわせな思い出にはなり得ない、と思う。
正義を振りかざされた場合、この思い出はいつまでたってもしあわせにはならず、許せない、いやな思いでとして残る気がします。
これも過去を振り返りますと、例えば…
中学のとき部活をサボったときどんだけ先生にしばかれたか ( 何十年経っても許せん )
10年にも渡りパワハラ的な扱いを受けた。パワハラを行使する側にはれっきとした正義があるのでしょう。
など… ( あまり思い出したくもない )
正義の名を行使すれば、子供の頭を腫れ上がるほど殴れるし、妻子がある男を鬱寸前まで追い込んでもそれは正当化できるのでしょう。
カンボジアのポルポトでさえ、彼が行なったことは全て彼の正義の元で遂行されたことです。
こう考えると「悪魔とのおしゃべり」にある通り、私を傷つけるものは「悪」ではない、まさしく「正義」であったと改めて気がつきます。
そして、今の悩みもあれは「正義」を行使していることによるんだろうなって思いますね。( 何のこっちゃ )
まとめ!
んー、話があっちゃこっちゃ行ってまとまらない。
でも、言いたいことは。
- 過去を振りかえれば大抵のことはしあわせな思い出
- ならば、今もリアルタイムにしあわせを感じるはず
- そのことを認識し実感できるならその方が吉
- ただし、正義を振りかざされたとき、それは良い思い出にならない
です…
最後の「正義を振りかざされたとき…」だけ、またよく考えてみる必要がありますね。
ナメロウでした!