我々がどんだけ幸せかって話し、時間と空間と息子のこと

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ナメロウです!

今回はいつもと趣向の違う投稿となります。

私たちが…少なくとも私がどんだけ幸せかって事を考えてみたい…

ちょっとスピリチュアル入ってます。

ここ最近、なんでブログ書いてんだっけ?と振り返る中で考え、思い至った事を書きます。

不幸を抱えつつも幸せ

日頃の生活の中でけっして幸せでないことがたくさんあります。

ナメロウも、私自身も本当にたくさんある…

仕事は忙しく残業も多い、日々のプレッシャーもキツイ。御多分に洩れず仕事は辛いもの…

それに、家庭環境も常に円満とは限らない。夫婦喧嘩も当たり前のようにありますし、子供を叱りつけることもしょっちゅうです。

子供については心配事も多々あります。

歳を追う毎に体力は衰え残業はきつくなり、髪の毛は後退し、目は近眼に加えて老眼で本もまともに読めない。

もっと言うと、実は難病を抱えている私です。( 事実上寛解しておりますが )

経済的にもそうですね… お金がかかる事は多いですし、自由になるお金もまだまだ少ないでしょう。

このようにいろんな不幸?不満を抱えながら、私は私自分が今とても幸せなんだと思いますね。

どんだけ幸せなんだ!?

とてもどころか、おそらく私以上に幸せな人はいない。それくらい幸せです。

無限の過去と未来があり、無数の人生があり、宇宙には無限の空間が広がっています。

私より豊かで、何不自由のない人が大勢いるてましょう。

でも、自分が良いんです。

無限の時間と無限の空間の中で、今ここが良いんです。

今ここににいる私が良い。他の誰も羨ましくない。

奇跡的な時間、空間にいると自覚します。

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私にとっての息子の存在

やはり、私にとって息子の存在について、語らないわけにも行きますまい。

息子と一緒にいる時間、一緒に暮らす生活はほんとうに幸せです。

そしてもし息子がいなかったらと思うとそれは地獄です。

死後の世界に本当に天国があったとしても、息子がいなければ、そこは地獄でしょう。

もしこれから私がどんなに豊かになり、お金持ちになったとしても、息子がいる生活でなけれはそれは望みではありません。

( もちろん、将来子供が成長し自立する日がくれば、それは問題なく受け入れるとは思いますが… )

書きたくもないのですが、もし子供を失ってしまう事があったとして、私は未来永劫息子を探し続けると思います。

子供を永遠に探し続ける…

やがて私は死ぬでしょうが、なお転生を繰り返し、探す事をやめないでしょう。

無限の時間を使って宇宙の隅々まで探し続けるでしょう。

映画「AI」で少年デイビッドが母親を探し続けるように、いつまでも諦める事なく探し続けるでしょう。

かけがえの無い時を過ごしている

そう思うと…私はかって子供をなくした親であったのではないか… そんな妄想に囚われ心を乱されます。

そうではないと、どうして証明できるでしょうか。( 無限の時間と空間の中ではあらゆる可能性がある )

そして、今世でついに私は息子を探し当てたのではないか…

つまり、長い時を超えてついに今私はこの上なく幸せになったと思うんです。

私にとって、我が息子のいる…幼い息子のいる家庭、時間そして空間は…繰り返しますが、無限の時間、無限の時間の中で今ここにしかありません。

こんな奇跡はないと思います。

今晩も息子の寝顔を見て、心から「ありがとう」と感謝の気持ちか胸に溢れます。

そして、お子さんのいらっしゃる方はみな、私と同じなのではないかと思います。

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このブログはどうなのか?

思えばこのブログも、きっと幸せになるためにはじめたのでした。( あらゆるモチベーションは幸せになる事にある )

でも今幸せなんですから、それではそれに変わる目的はなんでしょうか?

ありがとう… 感謝?

感謝するためにブログを続けるのが正しい?そうあるべき?( あらゆるモチベーションは感謝となる? )

感謝するブログってなんだろう?

まだわかりませんが、これから考えてみたいと思います。

まとめ!

今回の記事を書いていて、あらためて今の幸せを再認識しました。

間違いなくナメロウは幸せですよ。

もう少し書くと「幸せになりたい」と思う気持ちは、やがて「幸せになって」に変わって行くと思うのです。

このことについてもまた書きます。

ナメロウでした!

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